「子どもの不登校は問題行動ではない」
と文部科学省から指針が出されて久しいです。
不登校のお子さんや保護者さんに向けた世間の眼差しの厳しさは残るものの、それでも2017年に教育機会確保法が成立して以来、少しずつ変化の兆しも見えています。
でも、あえて厳しい表現をさせていただくと、「子どもの不登校は問題行動ではない」の一文が示す意味が、学校現場で表面的にしか理解されていない、まだまだ浸透していないなあと感じることが多々あります。
保護者さんのお話を伺っていると、確かに、不登校の子に無理やり登校を促す風潮は薄れてきているように感じます。〝無理な登校刺激はしない〟という意味では、対応が優しくなっている傾向にあると思います。
でも、その根底に
「何故なら子どもの不登校の原因は様々であり、どの子にも起こりえるものだから」
という、あるべき視点がすっぽりと抜けているようにも感じるのです。
その為でしょうか。
確かに無理な登校刺激は減っているようですが、不登校に至る過程で
「家の中が居心地よすぎるんですね(保護者が甘い)」とか
「愛着形成がうまくいっていないのではないか(子育てが悪い)」
などといった言葉を、現場の教職員の先生方から保護者に対して掛けられることもいまだにあるようです。
「子どもの不登校は問題行動ではない」
というのは、「不登校は問題行動ではないから不登校になった子を学校に戻そうとしなくてもいいんですよ」という、それだけの意味では決してありません。
「不登校になるのは、本人の資質や家庭の子育て・しつけが悪かったというようなことではないですよ」というのが本来の意味であるはずです。
不登校が「問題行動である」「あってはならぬものである」というベースから生まれる思考は、「どうしてこのようなことになったのか」「どうすれば、この〝問題〟を解決できるか」という思考に傾きやすいと考えます。
その思考から無意識に提案されるアドバイスが、時に保護者の気持ちに棘を残すことがあるのではないでしょうか。
そのことが、不登校を〝問題〟にしてしまっていることはないでしょうか。
それは例えば、〝障害〟をあってはならぬものとして扱った結果、障害のある人を排除したり、哀れんだりする思考と似ているような気がするのです。
「その人自身」を見ていない気がするのです。
教育機会確保法はじめ、文部科学省から出されている通達や指針でもそのことは繰り返し伝えられていますが、現場に浸透するにはまだまだ時間がかかるのかもしれません。
少し、残念に思っています。